韓非子集中講義

春秋戦国時代の法家 

韓非子の研究と解説

韓非子のことば

まずは「韓非子」の中から、これは、と思う有名な言葉やエピソードをいくつか紹介しよう。

民の故計、皆、安利に就き、皆、危窮を辟(さ)く」(五蠹)

訳:民はそもそも誰しもが安全で利益のあるものに就きたいと思い、危険や困窮からは避けたいと思うものだ。

人主の左右、必ずしも智ならざるなり。人主の人に於ける、智とする所有りて之を聴く。

 因りて左右と其の言を論ず。是れ愚人と智を論ずるなり」(孤憤)

訳:君主の側近は必ずしも賢者ではない。君主が、ある智者を厚くもてなした後、その人物について側近と論じあう。

これでは愚者に賢人について訊いているようなものだ。

「主の利は能有りて官に任ずるに在り。臣の利は能無うして事を得るに在り。

 主の利は労有りて爵禄するに在り。臣の利は功無うして富貴なるに在り。

 主の利は豪傑能を使ふに在り。臣の利は朋党私を用ふるに在り」(孤憤)

訳:君主の利益とは有能な者を官職につけることだが、臣下の利益は無能であっても仕事を得られることである。
君主の利益は実際の功績に対して俸禄を与えることであるが、臣下の利益は功績がなくても富貴になることである。
君主の利益は傑物に能力を発揮させることであるが、臣下の利益は徒党を組んで私利を貪ることである。


著者 韓非

「韓非子」の著者である韓非は、戦国時代末期の韓の諸公子である。

宰相として秦の始皇帝の中国統一を補佐した李斯とともに、荀卿(荀子)に師事したとされている。

韓非は生まれつき吃音であり、議論するのが得意ではなかった。

しかし、文章を書くことには優れており「韓非子」五十五篇を著した、とされる。

実際は、五十五篇全てが韓非の手によるものではなく、韓非の思想を受け継いだ後学の徒により書かれたであろうと思われる篇も混在している。


春秋戦国時代

中国まるごと百科事典より


諸子百家

漢代以降に、春秋戦国時代に活躍した思想家、政治家、学者、また、その学派などを、「儒家」「墨家」「法家」「道家」「名家」「陰陽家」「縦横家」「雑家」「農家」「小説家」「兵家」など、その論ずるところによって様々に分類された。

「韓非子」の著者、韓非は、これらの中の法家に分類される。

法家の思想とはどのようなものだったのか。

法家に分類される人物やその事績を追いながら、その思想に迫っていこう。

法家に関係の深い人物伝

・管仲

春秋時代、春秋五覇の筆頭である斉の桓公に仕えた名宰相。

「管子」の著者とされる。

「管鮑の交」の故事は有名。

名言「倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」

・商鞅

 

・申不害

申不害は韓の昭侯に仕え、宰相としてその辣腕をふるった。
申不害が韓の政治を正して尽力した15年間、韓は外敵に侵攻されることなく、善く治まったという。
その一方、「韓非子」定法篇で韓非が、申不害の治世の実態を暴いていることは、非常に興味深く、貴重な記述である。

 

申不害の著書とされる『申子』はすでに散佚しており、その全貌を知ることはできない。
『史記』によると、申不害の著書『申子』は二篇、とあるが、『漢書』「芸文志」には『申子』六篇、とある。
前漢の頃には二篇だったものが、後漢には六篇に増えている。
他の著作が混ざって増えたのか、誰かの手によって加筆されたのか、あるいは司馬遷の手元には二篇しか伝わらなかったのか、実際のところはよく分からない。

・慎到

 

・呉起

 

・子産

 

・李斯

 

法家思想


参考資料