説林 下

【説林 下 現代語訳】

 

1)
伯楽が二人に跳ね馬の見分け方を教えた。
二人は簡子の厩へ行き、馬を観察した。一人がある馬を跳ね馬だと指摘した。もう一人が後ろからついて行き、馬の尻を三度撫でてみたが、馬は跳ねない。そこで指摘した一人が自分から見分け方を間違えたと認めた。
もう一人が言う。「君は見分け方を間違えたのではない。その馬は前脚の付け根が小さく、膝が腫れている。跳ね馬とは後脚を蹴り上げて前脚支えるべきものなのに、膝が腫れているので支えられないのだ。だから後脚が上がらなかった。君は跳ね馬を見分けるのはうまいが、膝が腫れているのを見逃したのだ」と。
物事には必ず要点というものがある。しかし馬の膝の腫れのような要点に気づけるのは智者のみである。
恵子も言っている。猿を檻の中に入れてしまったのでは、豚も同然である、と。
だから周囲の情勢が不利であれば、能力を充分に発揮できないのである。

2)
衛の将軍の文子が曾子に会いに行った。曾子は立ち上がらずに席に案内させ、自身は奥の部屋で身を正していた。文子は御者に言った。「曾子は愚人だな。私を君子と認めるなら、敬うだろうし、乱暴者と認めるなら、侮ることなどできないだろう。曾子が恥辱を受けずに済めば幸いだ」

3)
翢翢という鳥がいる。頭が大きく尾が曲がっている。河の水を飲もうとすると前のめって倒れる。そこで別の鳥がその羽を咥えて支え、飲ませる。
人も同じで、自分の力で飲めないようなことがあれば、羽を咥えて支えてくれる味方を求めなければならない。

4)
鰻は蛇に似ているし、蚕は芋虫に似ている。
人は蛇を見れば驚くし、芋虫を見れば身の毛がよだつ。しかし漁師は鰻を素手で握り、婦人は蚕を素手でつまむ。
利益があるとなれば、皆、孟賁や専諸のような勇者となるのだ。

5)
伯楽は気に入らない者には千里を駆ける駿馬の見分け方を、お気に入りの者には並の馬の見分け方を教えた。
千里の馬はたまに一頭見つかる程度なので利益はそれほど得られないが、並の馬は毎日取引されるので利益を頻繁に得られる。周書に言う低俗な内容だが応用は広い、ということだ。

6)
桓赫が言う。「人形を削って作る時は、鼻は大きめに作るのがよく、目は小さめに作るのがよい。鼻が大きい分には削って小さくすることができるが、小さいのを大きくすることはできない。目が小さい分には削って大きくすることができるが、大きいのを小さくすることはできない」と。
物事を行う際にもまた同じである。やり直しのきかないことにしっかり備えていれば失敗することも少ない。

7)
崇侯と悪来は、自分が紂王に罰せられないことを知っていたが、武王によって攻め滅ぼされようとは気づかなかった。比干と子胥は自分の君主が滅びることを知っていたが、自分自身が死ぬことには気づかなかった。
崇侯と悪来は人の心を知って、事の形勢を知らなかった。比干と子胥は事の形勢を知って、人の心は知らなかった。
しかし聖人であれば、両方とも知る能力を兼ね備えているのだ。

8)
宋の宰相は高貴で政治を専断していた。季子が宋の君主にまみえることになった。
梁子がこれを聞いて言った。「論説するときは必ず宰相も同席させるべきです。そうでないと禍を免れられないでしょう」と。季子は宋の君主に対して命を大切にし、国政を軽視するよう説いた。

9)
楊朱の弟の楊布は白い衣を着て出かけた。
すると雨が降り、濡れてしまったので白い衣を脱ぎ、黒い衣を着て帰った。
飼い犬が気づかずに吠えた。楊布は怒って犬を殴ろうとした。
すると楊朱が言った。「お前、殴ってはいけない。お前だって同じだろう。もしお前の飼い犬が白い色で出かけ、黒い色になって帰ってきたなら、お前だって怪しむだろうよ」と。

10)
恵子が言った。弓の名手、羿が弓懸をはめ、弓籠手をつけ、弓をとって、弓筈を引く時は、越の人でさえ争って的を持つだろうが、幼い子供が弓を引けば、優しい母でさえ家に逃げ込み戸を閉めるだろう。
だから言うのだ。必ず的に当たると分かれば越の人でさえ羿を疑わないが、どこに当たるか分からなければ、優しい母でさえ幼い子供から逃げるものだ、と。

11)
桓公が管仲に「富に限界はあるだろうか」と尋ねた。
管仲は答えて言う。「水の場合で申せば、水の限界は、その水面より上の水が無くなる所です。富の限界は、富に充分満足した時です。しかし人は自分で満足だと止まることができず、身を滅ぼします。ここが富の限界でしょう」

12)
宋の豪商で監止子という者がいた。
人と競争して百金の璞玉を買おうとしたが、わざとしくじったふりをして璞玉を落として傷をつけ、百金をもって償った。そしてその傷を修復して千溢で売った。
物事には、行動して失敗することがあるが、行動せずにいるより勝ることがある。失敗の償いをした時である。

13)
馬を御するのが得意な者が楚王に目通りを願ったが、他の御者が彼を妬んだ。
そこで彼は「私は鹿を捕えるのが得意です」と言って王に謁見した。王は馬を御してみたが鹿には追いつかない。しかし彼が御すると鹿に追いついた。
王が彼の御する能力を認めてから、他の御者が自分を妬んでいることを王に告げた。

14)
楚の公子が号令して陳を伐つことになった。長老が見送って言うには「晋は強い。慎重になさいませ」と。
公子が答える。「長老、心配はいりません。私があなたのために晋を破って参りましょう」
長老は言う。「よろしい。ならば私は陳の南門の外に喪小舎を作りましょう」
公子が「何故ですか」と問うた。
長老は答える。「私は越王句践を笑いましょう。人の為に敵を伐ち破るのが容易いなら、ひとり何故密かに十年も苦労したのでしょうか」と。

15)
堯は天下を許由に譲ろうとしたが、許由は断って逃げ、民家に泊まった。
家の者が許由を怪しんで皮の冠を隠した。天下でさえ捨てた人物に対して、皮の冠を隠すとは、許由という人物を全く知らないからである。

16)
三匹の虱が言い争いをしていた。そこへもう一匹が通りかかって「何の話で言い争っているのか」と尋ねた。
三匹は言う。「豚の一番うまいところを争っているのだ」と。
そこで一匹が「君たちは臘祭が来て茅が焚かれることを心配しないのか、それならば他に何の心配をするというのだね」と言った。そこで四匹は一緒に集まり、豚の身をかじって血を吸ったので、豚は痩せてしまい、臘祭になっても人は豚を殺さなかった。

17)
虫に蚘(かい)というのがいる。体は一つで、口は二つある。争って噛み合い、しまいには殺しあって、自殺してしまう。臣下が互いに争って自国を滅ぼしてしまうのは、みな蚘の類である。

18)
住宅は漆喰で塗り、容器は洗浄してきれいになる。人の行いもまた然り。普段から塗るべきところも洗うべきところも無いようにすれば、その身に過ちも少ないであろう。

19)
斉の公子である糾が反乱を起こそうとした。兄弟の桓公は使者に偵察させた。
使者は報告した。「糾は笑っていても本心では楽しんでおらず、物を見ていても目に入ってはいません。必ず反乱を起こすでしょう」桓公は魯の人を使って殺させた。

20)
公孫弘は髪を切って越の風俗に合わせて越王の騎将となった。
公孫喜が使いを出して絶縁を伝えて言った。「私とお前とは兄弟ではない」と。
公孫弘は言った。「私は髪を切っただけだが、お前は負け戦で自分の首を切られてしまっても人の為に戦うのだ。お前に何と言ってやればいいだろう」と。
のちに周南の戦いで公孫喜は討ち死にした。

21)
乱暴者と隣同士になった者がいた。家を売って難を避けようとした。するとある人が言う。「あの男の悪事ももうじきし納めになるだろうよ。もう少し待ってみてはどうかね」と。
答えて言うには「私は私への悪事をもってそのし納めとなることを恐れているのだ」と。そして去った。
だから言うのだ。物事には時機というものがあり、ぐずぐずしてはいけないのだ、と。

22)
孔子が弟子に言った。「誰か子西がどうやって賢人としての名声を得たのか分かるかね」と。そこで子貢が「私がお答えします。子西は人を疑わず、寛大です。利に惑わされず、潔白です。人の性には変わらないところがあり、曲がったものは曲がっていると、真っ直ぐなものは真っ直ぐだとします」と。
孔子は言った。「子西は禍を免れぬであろう」と。白公の乱により殺された。
だから言うのだ。行いが実直な人物は情にもとる、と。

23)
晋の中行文子が亡命し、ある町にさしかかった。従者が言うには「ここの嗇夫はあなたの旧知の者です。ぜひそこでお休みになり、後続の車をお待ちなさいませ」と。
文子は言った。「私は以前、音楽を好んだが、その時に彼は私に琴をくれた。私は腰につける玉を好んだが、彼は私に玉環をくれた。彼は私の過ちを諌めてくれる者ではなく、贈り物によって私に取り入ろうとする者だ。私は、私を捕らえることで他の人に取り入るのではないかと恐るのだ」と。
そのままここを去った。その後この嗇夫は文子の後続の車二台を捕らえて、自身の主に献じた。

24)
周趮が宮他に言った。「私のために斉王に説いて、斉の力で私を魏に便宜を図ってくだされば、魏を斉王に仕えさせましょう、と伝えてください」と。
宮他は言った。「それはできない。それをすれば魏に勢力がないことを知らすことになり、斉王はきっと魏に勢力のない者の便宜をはかり、魏の有力者の怨みをかうようなことはしないだろう。あなたは王の望みをもって、私は魏を動かして斉王の望みを叶えましょう、と言った方がよく、斉王は必ずやあなたが魏に勢力があると思い、あなたに頼るだろう。そうすれば斉に自然と勢力ができ、結果として斉にも魏にも勢力を持つようになろう」と。

25)
白圭が宋の大尹に言った。「宋の君が成長し、自ら政治を行うようになると、あなたは実権を失うでしょう。今、君主は若く、名声を得たがっています。そこで楚に主君の孝行ぶりを褒めてもらうようにするのが良いでしょう。そうすれば、ご主君はむやみにあなたの地位を奪うことができず、ますますあなたを敬い重んじるでしょう。そうなるとあなたはこれからもずっと宋の実権を握っていられるでしょう」と。

26)
管仲と鮑叔が相談して言った。「ご主君の乱暴ぶりはひどいものだ。必ずや国を失ってしまうだろう。斉国の公子のうち、補佐すべきは糾様か小白様だろう。我らはそれぞれ別々にひとりに仕えよう。そして先に成功した者がもう一方を助けよう」と。
こうして管仲は公子糾に従い、鮑叔は小白の従った。その後斉国の人が君主を殺した。先に小白が入国して君主になった。魯の人が管仲を捕らえて斉へ引き渡したところ、鮑叔が取りなして管仲を宰相にした。
諺に「巫咸の祈祷はよく効いたが、自分への禍を祓うことはできなかった。秦の医師は病をよく取り除いたが、自分の病を取り除くことはできなかった」とあるように、管仲ほどの賢者でも鮑叔の助けが必要であったのだ。
これが世の諺に言う「蛮族が自分で皮衣を売ろうとしても売れず、士人が自分で自分の弁舌を褒めても信用されない」ということである。

27)
楚王が呉を討伐しに来た。そこで呉は沮衛蹙融を使者にして楚の軍を慰労させた。
すると楚の将軍が言った。「此奴を捕らえよ。殺してその血を軍太鼓に塗ろう」と。
さらに使者に問うた。「そなたがここへ来る時に占ったか」と。
沮衛蹙融は答えて言った。「占いました。占いの結果は吉と出ました」と。
楚の人が言った。「楚軍がそなたを殺してその血を太鼓に塗ろうとしているのに、どうしてそれが吉だと言うのか」と。
「これがそもそも吉である所以なのです。呉が私をここへ来させたのは楚の将軍の怒りを探るためです。将軍の怒りが大きければ、呉は堀を深くし土塁を高く築くでしょうし、将軍の怒りがないのであれば、守りを緩めようとしています。今、将軍が私を殺したなら、呉は必ずや警戒を強めましょう。国の占いは、ひとりの臣下のために占うのとは違います。ひとりの臣下の命で一国が助かるのならば、それを吉と言わずして何と言いましょうか。また、死者に霊魂が無くなるのならば、太鼓に私の血を塗ったとて効果はなく、使者に霊魂があるのだとしたら、呉に攻め込んだ時に私は太鼓が鳴らないようにしてやりましょう」と。
楚軍はこれを聞いて殺すのをやめた。

28)
知伯が仇由を伐とうとしたが、道が険しくて攻め込めない。そこで大きな鐘を鋳て仇由の君主へ贈った。仇由の君主は大いに喜んで、道を広げて迎え入れようとした。
赤章曼枝が言った。「いけません。鐘を贈るのは小国が大国に対して仕えるときのやり方ですが、今、大国がそれを用いております。必ずや敵の兵卒が後ろについて参りましょう。入れてはなりません」と。
仇由の君主はこの諫言を聞かず、とうとう之を迎え入れてしまった。赤章曼枝は車の車軸を短く切り、馬車を駆って斉へと逃げた。その後、七日のうちに仇由は滅んだ。

29)
越が呉を打ち破り、そのままさらに軍を楚から借り受けて晋をも攻めようとした。左史倚相が楚王に言った。「越は呉を破り、勇士は死に、兵糧は尽き、主力兵士は傷ついているのに、今、また軍を借りて晋を攻めようというのは、我が国にまだ疲弊していないぞと見せかけるためです。そこで軍勢を起こし、越を攻め、呉の地を割譲させましょう」楚王は「よろしい」と言い、軍を起こして越を追いかけた。
越王は怒り、返り討ちにしようとした。
すると大夫種が諌めて言った。「いけません。我が軍の勇士は尽き主力兵士は傷ついており、このまま戦っても必ず敗れます。賄いを贈るに越したことはありません」そこで露山の北五百里を割譲して賄いとした。

30)
楚が陳を伐ち、呉が陳を救おうとした。楚と呉、両軍の間は三十里であった。雨が降ること十日目にして晴れて星が出た。楚の左史倚相が将軍の子期に言った。「雨が十日降る間に敵軍は集結し、必ずややってくるでしょう。備えなさいませ」と。
そこで陣形を構えたが陣ができあがる前に呉軍が到着したが、楚の陣容を見て引き返した。左史倚相が言う。「呉軍は往復六十里行軍したから、戻れば将軍は休息し、兵士は食事をとるでしょう。こちらは三十里を行くだけ。追撃すれば必ず勝てましょう」楚軍は追撃し、呉軍を撃ち破った。

31)
韓と趙が争った。韓は魏に援軍を求めて言った。「軍をお借りして趙を伐ちたい」と。魏の文侯は言った。「私は趙と兄弟も同然だから、求めには応じられない」と。
趙もまた援軍を借りて韓を攻めようとした。文侯は言った。「私は韓と兄弟も同然だから、求めには応じられない」と。両国は援軍を得られず怒って引き返した。
その後、文侯が韓と趙を和平させようとしていたのを知り、両国は魏に朝貢した。

32)
斉が魯を伐って讒鼎という宝を求めた。魯は使者に贋物を持たせて遣わした。斉の人は贋物だと言ったが、魯の人は本物だと言いはる。斉の人が「それなら楽正子春を来させよ。私は彼に聴こう」と。
魯の君が楽正子春に頼んだ。楽正子春は尋ねた。「どうして本物を持っていかないのですか」と。
魯の君は言う。「本物は惜しいのだ」
楽正子春も答える。「私だって私自身の信用を失うのは惜しい」

33)
韓咎が立って君主となった。まだ君主に決まる前、弟が周にいて、周は彼を韓に送り重要な地位につけたいと思ったが、韓の人々が彼を立てない場合のことを心配した。
綦毋恢が言った。「車百台をつけて送るのがよろしい。韓の人が彼を立てるなら途中警戒をしたと言い、彼を立てなかったら害をなす者を連れてきたのだと言うのです」と。

34)
斉の靖郭君が薛の地に城を築こうとしたが、食客の多くはそれを諌めた。靖郭君は取次役へ「食客を取り次がなくてよい」と命じた。斉の人で謁見したいと願う者がいて言うには「私は三言だけで終わります。三言を超えたら煮殺されたって構わない」と。
靖郭君はそこまで言うならと会ってみた。客は小走りに進んで「海大魚」とのみ言って、身を返して走り去った。靖郭君は「その話を聞かせて欲しい」と請うた。客は言う。「私は自分の死をかけてまで冗談は言いません」と。靖郭君は「それでも私の為に話をして欲しい」と言った。
客は答えた。「海にいる大魚をご存知でしょうか。網でも止められず、銛でも捕らえることはできませんが、跳ねて水の外へ出てしまうと、螻や蟻でも倒せてしまいます。今、斉はあなたにとって海です。あなたが斉を長く支配していくなら、薛を重視することはありません。もし斉を失ってしまったら、薛に城を天高く築いても無意味となりましょう」と。
靖郭君は「よし」と言い、薛に城を築くのをやめた。

35)
楚王の弟が秦にいたが、秦は出国を認めない。楚王の近習が言った。「私に百金をお渡しくだされば、弟君を出国させてみせます」そこで百金を車に載せて晋へ行き、叔向に会って言うには「楚王の弟君が秦にいて、秦はその出国を認めません。この百金をもってお力添えください」と。
叔向は金を受け取り、使者を晋の平公に会わせた。使者は「壺丘に城を築くべきです」と言った。
平公は「なぜか」と問うた。
答えて言うには「楚王の弟君を秦におり、秦は出国を認めません。これは秦が楚を敵視しているからです。よって晋の国で壺丘に城を築くことを禁じはしますまい。もし秦が咎めてきたら、晋の為に楚王の弟を返して欲しい。そうすれば城を築く必要はない」と。もし秦が楚王の弟を返すなら、晋の力添えを楚は恩に感じるでしょう。もし秦が返さなければ、これは楚を敵視しているので、晋が壺丘に城を築くことを禁じはしません」と。
平公は「よし」と言い、壺丘に城を築くことにして秦公に言った。「晋の為に楚王の弟を楚に返して欲しい。そうすれば城を築く必要がありません」と。
秦は楚王の弟を返した。楚王は大いに悦び、精錬した金を百鎰を晋へ贈った。

36)
呉王闔盧が郢を攻め、戦って三度勝った。伍子胥に問うた。「これで引き揚げるべきか」と。伍子胥は答えて言う。「人を溺れさせようとしているのに、水をひと飲み飲ませたところで止めてしまえば、成し遂げられません。手を休めず、これに乗じて沈めてしまうべきです」と。

37)
鄭の人に息子がいて、官職に就こうとしていた。その父に言った。「家の垣根の壊れているところを補修すべきです。悪人が盗みに入ってしまいます」と。
同じ町に住む人もまた、家人に同じ忠告をした。しかし時が経っても修復しなかったので、悪人が盗みに入ってしまった。すると家人は、役人になった息子を知恵者だと褒め称え、同じ忠告をした町人を盗人ではないかと疑った。


【説林下 書き下し文】

 

伯楽、二人に踶馬(ていば)を相(そう)するを教ふ。
相与(とも)に簡子の厩に之(ゆ)きて馬を観る。
一人、踶馬を挙げ、其の一人、後に従ひて之に循(したが)ふ。三たび其の尻を撫すれども馬、踶せず。
此れ自ら以て相を失へりと為す。
其の一人曰く、子、相を失へるに非ず。此れ其の馬為(た)るや、踒肩(わけん)にして腫膝(しょうしつ)。
夫れ踶馬なる者は、後を挙げて前に任ず。腫膝は任ず可からざるなり。故に後挙がらず。
子、踶馬を相するに巧なれども、腫膝に任ずるに拙し、と。
夫れ事は必ず帰する所有り。而かも腫膝する所有るを以て任ぜず。智者の独り知る所なり。
恵子曰く、猿を柙中(こうちゅう)に置けば、則ち豚と同じ、と。
故に勢の便ならざるは、能を逞しくする所以に非ざるなり。

 


衛の将軍文子、曾子を見る。
曾子起たずして、坐席に延(ひ)き、身を奥に正す。
文子、其の御に謂ひて曰く、曾子は愚人なるかな。
我を以て君子と為さんか。君子安(いづ)くんぞ敬する毋(な)かる可けんや。
我を以て暴人と為さんか。暴人安(いづ)くんぞ侮る可けんや。
曾子、僇(りく)せられずんば命さいはひ、と。

 


鳥、翢翢(とうとう)といふ者有り。
重首にして屈尾。将(まさ)に河に飲まんと欲せば、則ち必ず顚(てん)す。乃ち其の羽を銜(ふく)みて之を飲ましむ。
人の飲むに足らざる有る所の者は、其の羽を索めざる可からざるなり。

 


鱣(せん)は蛇に似、蚕(さん)は蠋(しょく)に似たり。
人、蛇を見れば則ち驚駭(きょうがい)し、蠋を見れば則ち毛起す。
漁者、鱣を持し、婦人、蚕を拾ふ。
利の在る所、皆、賁諸(ほんしょ)と為る。

 


伯楽、其の憎む所の者に千里の馬を相するを教へ、其の愛する所の者に駑馬を相するを教ふ。
千里の馬は時に一あるのみ。其の利、緩なり。
駑馬は日びに售(う)れ、其の利、急なり。
此れ周書に所謂下言(かげん)にして上用する者、惑なり。

 


桓赫曰く、刻削(こくさく)の道、鼻は大に如くは莫く、目は小に如くは莫し。
鼻大なるは小にす可し。小なるは大にす可からざればなり。
目小なるは大にす可し。大なるは小にす可からざればなり、と。
事を挙ぐるも亦然り。
其の復(ふたた)びす可からざる者の為にせば、則ち事敗るる寡なし。

 


崇侯悪来(しゅうこう、おらい)は紂の誅、適度に(あ)はざるを知りて、武王の之を滅すを見ず。
比干子胥は、其の君の必ず亡ぶるを知りて、身の死するを知らず。
故に曰く、崇侯悪来は心を知りて事を知らず。比干子胥は事を知りて心を知らず、と。
聖人は其れ備はる。

 


宋の太宰、貴くして断を主(つかさど)る。
季子、将(まさ)に宋君を見んとす。
梁子、之を聞きて曰く、語らば必ず太宰と三坐す可し。然らずんば将(まさ)に免れざらんとす、と。
季子、因(よ)りて説くに主、貴びて国を軽んずるを以てす。

 


楊朱の弟、楊布、素衣を衣(き)て出づ。
天、雨ふる。
素衣を解き、緇衣(しい)を衣(き)て反(かへ)る。
其の狗知らずして之に吠ゆ。
楊布怒りて将(まさ)に之を撃たんとす。
楊朱曰く、子、撃つ毋(なか)れ。子も亦、是の猶(ごと)くならん。
曩(さき)に女(なんぢ)の狗をして白くして往き、黒くして来らしめば、子、豈に能く怪しむ毋(なか)らんや。

 


恵子曰く、羿、㺵(けつ)を執り扞(かん)を持し、弓を操りて機を関せば、越人も争ひて為に的を持たん。
弱子弓を扞(ひ)かば、慈母も室に入りて戸を閉ぢん。
故に曰く、必ず可くんば則ち越人も羿を疑はず、必す可からずんば則ち慈母も弱子を逃る、と。


桓公、管仲に問ふ。富に涯有るか、と。
答へて曰く、水の涯以(た)る、其の水無き者なり。富の涯以(た)る、其の富已に足る者なり。
人、自ら足るに止(とど)まる能はず。而して亡(むし)ろ其れ富の涯あらんや、と。

 


宋の富賈に監止子といふ者有り。
人と争(きそ)ひて百金の璞玉を買ふ。
因(よ)りて佯(いつわ)り失して之を毀(こぼ)ち、其の百金を負(つぐな)ふ。
而して其の毀瑕(きか)を理して千鎰を得たり。
事、之を挙げて敗るる有り、而も其の之を挙ぐる毋(な)きに賢(まさ)るといふ者有り。
負の時なり。

 


御を以て荊王に見(まみ)えんと欲する者有り。
衆騶(しゅうすう)之を妒(ねた)む。
因(よ)りて臣能く鹿を撽(う)つと曰ひて王に見(まみ)えたり。
王、為に御して鹿に及ばず。
自ら御して之に及ぶ。
王の其の御を善するや、乃ち衆騶の之を妒(ねた)むを言へり。

 


荊、公子に令して将(まさ)に陳を伐たんとす。
丈人(じょうじん)之を送りて曰く、晋は強し。慎まざる可からず、と。
公子曰く、丈人奚ぞ患へん。吾、丈人の為に晋を破らん、と。
丈人曰く、可。吾、方(まさ)に陳の南門の外に盧せん、と。
公子曰く、是れ何ぞや、と。

曰く、我、句踐を笑ふなり。人為るの是の如く其れ易くば、独り何ぞ密密十年の難きを為さんや、と。

 


堯、天下を以て許由に譲る。
許由之を逃る。
家人に舎す。家人其の皮冠を蔵(かく)す。
夫れ天下を弃(す)てて、家人其の皮冠を蔵す。
是れ許由を知らざる者なり。

 


三虱(しつ)相与(あいとも)に訟(あらそ)ふ。
一虱之に過(よ)ぎりて曰く、訟(あらそ)ふる者は奚(なに)の説ぞ、と。
三虱曰く、肥饒(ひじょう)の地を争ふなり、と。
一虱曰く、若(なんぢ)亦臘(ろう)の至りて茅の燥(や)くるを患へざるか。若(なんぢ)又奚(なん)ぞ患ふる、と。
是に於て乃ち相与(あいとも)に聚(あつまり)て、其の母を嘬(かじ)りて之を食ふ。
彘(いのこ)臞(や)せたり。
人乃ち殺さず。

 


蟲に蚘(かい)といふ者有り。
一身両口。争ひて相齕(か)む。
遂に相食ひ、因(よ)りて自ら殺す。
人臣の事を争ひて其の国を亡す者、皆蚘(かい)の類なり。

 


宮に堊(あく)有り。
器に滌(でき)有らば、則ち潔し。
身を行ふも亦然り。
滌堊の地無ければ則ち非寡(すく)なし。

 


公子糾(きゅう)、将(まさ)に乱を為さんとす。
桓公、使者をして之を視しむ。
使者、報じて曰く、笑へども楽しまず。視れども見ず。必ず乱を為さん、と。
乃ち魯人をして之を殺さしむ。

 


公孫弘、髪を断ちて越王の騎と為る。
公孫喜、人をして之と絶たしめて曰く、吾、子と昆弟(こんてい)為(た)らじ、と。
公孫弘曰く、我は髪を断つのみ。子は頸を断ちて人の為に兵を用ふ。我、将(まさ)に子を何とか曰はん、と。
周南の戦、公孫喜死せり。

 


悍者(かんしゃ)と隣するもの有り。
宅を売りて之を避けんと欲す。
人曰く、是れ其の貫、将(まさ)に満たんとす、と。
遂に之を去る。
或る人曰く、之(ゆ)く勿れ。子、姑(しばら)く之を待て、と。
答へて曰く、吾、其れ我を以て貫を満たさむを恐る、と。
遂に去る。
故に曰く、物の幾は靡(び)にすべき所に非ざるなり。

 


孔子、弟子に謂ひて曰く、孰(た)れか能く子西の名を釣るを導くものぞ、と。
子貢曰く、賜(し)や能くせむ、と。
乃ち之を導く。
復(ま)た疑はず。
孔子曰く、寛なるかな。利に被らず、絜(けつ)なるかな。民性、恒有り。曲を曲と為し、直を直と為す。子西、免れじ、と。
白公の難に子西死せり。
故に曰く、行に直(なお)き者は欲に曲がる、と。

 


晋の中行文子、出亡して県邑に過(よ)ぎる。
従者曰く、此の嗇夫(しょくふ)は公の故人なり。公、奚(なん)ぞ休舎して且(しばら)く後車を待たざる、と。
文子曰く、吾嘗て音を好む。此の人、我に鳴琴を遣れり。吾、珮(はい)を好む。此の人、我に玉環を遣れり。
是れ我が過(あやまち)を振(すく)はざる者なり。以て容を我に求むる者なり。
吾、其の我を以て容を人に求めんを恐る、と。
乃ち之を去る。
果(はた)して文子の後車二乗を収めて、之を君に献じたり。

 


周趮(しゅうそう)、宮他(きゅうた)に謂ひて曰く、我が為に斉王に謂ひて曰へ。斉を以て我を魏に資せば、請ふ、魏を以て王に事(つか)へしめん、と。
宮他曰く、不可。是れ之に魏無きを示すなり。斉王必ず魏無き者に資して以て魏有る者を怨ましめざらん。
公、王の欲する所を以てせよ。
臣請う、魏を以て王に聴かしめむと曰ふに如かず。斉王必ず以て公を魏有りと為し、必ず公に因(よ)らん。
是れ公、斉有るなり。因(よ)りて以て斉魏有らむ、と。

 


白圭、宋令尹に謂ふ。
曰く、君長せば自ら政を知らん。公、事無けん。
今、君は少主なり。而して名を務む。
君の孝を荊をして賀せしむるに如かざるなり。
則ち君、公の位を奪はずして、大に公を敬重せん。
則ち公、常に宋に用ひられん。

 


管仲鮑叔、相謂ひて曰く、君の乱甚(はなはだ)し。必ず国を失はん。
斉国の諸公子、其の輔(たす)く可き者は、公子糾に非ずんば則ち小白なり。
子と人ひと一人に事(つか)へん。先づ達する者は相収めん、と。
管仲乃ち公子糾に従ひ、鮑叔小白に従ふ。
国人果たして君を弑す。
小白先づ入りて君と為る。
魯人、管仲を拘して之を効(いた)す。
鮑叔言ひて之を相とす。
故に諺に曰く、巫咸(ふかん)善く祝すと雖も、自ら祓ふ能はず。
秦医善く除(をさ)むと雖も、自ら弾ずる能はざるなり、と。
管仲の聖を以てして、而かも鮑叔の助を待つ、此れ鄙諺(ひげん)に所謂虜自ら裘(きゅう)を売りて售(う)れず。
士自ら弁を誉めて信ぜられざる者なり。

 


荊王、呉を伐つ。
呉、沮衛蹷融(しょえいけつゆう)をして荊師を犒(ねぎら)はしむ。
荊の将軍曰く、之を縛せよ。殺して以て鼓に釁(ちぬ)らむ、と。
之に問ひて曰く、汝来(きた)るとき卜(ぼく)せしか、と。
答へて曰く、卜せり、と。
卜、吉なりしか、と。
曰く、吉なりき、と。
荊人曰く、今、荊、将(まさ)に女(なんぢ)を欲(ころ)して鼓に釁(ちぬ)らん、と。
其れ何ぞや、と。
答へて曰く、是れ故(もと)より其の吉なる所以なり。
呉の人をして来(きた)らしむるなり。固(もと)より将軍の怒るを視しむるなり。
将軍怒らば、将(まさ)に溝を深くし塁を高くせんとす。
将軍怒らずんば、将(まさ)に懈怠(かいたい)せんとす。
今や将軍臣を殺さば則ち呉必ず警守せん。
且つ国の卜する、一臣の為に卜するに非ず。
夫れ一臣を殺して一国を存せば、其れ吉と言はずして何ぞや。
且つ死者知る無くんば、則ち臣を以て鼓に釁(ちぬ)るとも益無けん。
死者知る有らば、臣、将(まさ)に戦の時に当たりて、臣、鼓をして鳴らざらしめんとす、と。
荊人因(よ)りて殺さず。

 


智伯、将(まさ)に仇由(きゅうゆう)を伐たんとす。
而れども道、難にして通ぜず。
乃ち大鐘を鋳て仇由の君に遣る。
仇由の君、大いに説(よろこ)び、道を除して将(まさ)に之を内(い)れんとす。
赤章曼枝(せきしょうまんし)曰く、不可。此れ小の大に事(つか)ふる所以なり。
而るに今や大以て来たる。卒必ず之に隨はん。内(い)る可からざるなり、と。
仇由の君聴かず。
遂に之を内(い)る。
赤章曼枝、因(よ)りて轂(こく)を断ちて駆る。
斉に至る。
七月にして仇由亡(ほろ)ぶ。

 


越、已に呉に勝つ。
又、卒を荊に索(もと)めて晋を攻む。
左史倚相(いそう)、荊王に謂ふ。
曰く、夫(そ)れ越、呉を破る。豪士死し、鋭卒尽き、大甲傷(きずつ)く。今又、卒を索(もと)めて以て晋を攻む。我に病(つか)れざるを示すなり。師を起こして以て分かたんには如かず、と。
荊王曰く、善し、と。
因(よ)りて師を起こして越に従ふ。
越王怒り、将(まさ)に之を撃たんとす。
大夫種(しょう)曰く、不可。吾が豪士尽き、大甲傷(きずつ)く。我与(とも)に戦はば、必ず剋(か)たじ。之に賂(まかな)ふに如かず、と。乃ち露山の陰五百里を割きて以て之に賂(まかな)ふ。

 


荊、陳を伐つ。
呉、これを救ふ。
軍間三十里。雨ふる、十日。夜、星みゆ。
左史倚相(いそう)、子期に謂ひて曰く、雨ふる、十日。甲輯(あつま)り、兵聚(あつま)る。呉人必ず至らむ。之に備ふるに如かず、と。
乃ち陳(じん)を為す。
陳未だ成らずして呉人至り、荊の陳せるを見て反(かえ)る。
左史曰く、呉、反覆六十里。其れ君子は必ず休(いこ)ひ、小人は必ず食はむ。我行く三十里。之を撃たば必ず敗る可きなり、と。
乃ち之を従(お)ふ。
遂に呉軍を破る。

 


韓趙相与(とも)に難を為す。
韓子、兵を魏に索(もと)めて曰く、願くは師を借りて以て趙を伐たん、と。
魏文侯曰く、寡人、趙と兄弟たり。以て従ふ可からず、と。
趙、又兵を索(もと)めて韓を攻めんとす。
文侯曰く、寡人、韓と兄弟たり。敢へて従はず、と。
二国、兵を得ず。怒りて反(かへ)る。
已にして乃ち文侯の以て己を構するを知り、乃ち皆、魏に朝す。

 


斉、魯を伐ちて讒鼎(ざんてい)を索(もと)む。
魯人其の鴈(がん)を以て往かしむ。
斉人曰く、鴈なり、と。
魯人曰く、真なり、と。
斉曰く、楽正子春(がくせいししゅん)をして来たらしめよ。吾将(まさ)に子に聴かんとす、と。
魯君、楽正子春に請ふ。
楽正子春曰く、胡(なん)ぞ其の真を以て往かざるや、と。
君曰く、我、之を愛(をし)む、と。
答へて曰く、臣も亦臣の信を愛(をし)む、と。

 


韓咎(かんきゅう)立ちて君と為る。
未だ定まらざりしとき、弟、周に在り。
周、之を重んぜむと欲す。
而して韓咎の立てざるを恐る。
綦母恢(きぶかい)曰く、車百乗を以て之を送るに若(し)かず。立つを得れば因(よ)りて戒を為すと曰へ、立てずんば則ち来たりて賊を効(いた)すと曰へ、と。

 


靖郭君、将(まさ)に薛(せつ)に城(きず)かんとす。
客、以て諫むる者多し。
靖郭君、謁者に謂ひて曰く、客の為に通ずる毋(なか)れ、と。
斉人の見(まみ)えんと請ふ者有り。
曰く、臣請ふ、三言にして已(や)まん。三言を過ぎば、臣請ふ、烹(に)られん、と。
靖郭君、因(よ)りて之を見る。
客趨(はし)り進みて曰く、海大魚、と。
因(よ)りて反(かへ)り走る。
靖郭君曰く、請ふ、其の説を聞かん、と。
客曰く、臣敢へて死を以て戯(たわむれ)を為さず、と。
靖郭君曰く、願(ねがわ)くは、寡人の為に之を言へ、と。
答へて曰く、君、大魚を聞くか。網も止むる能はず。繳(つな)も絓(か)くる能はざるなり。
蕩(とう)して水を失へば、螻蟻も意を得ん。
今、夫(そ)れ斉も亦君の海なり。
君、長く斉を有(たも)たば、奚(なん)ぞ薛以て為さん。
君、斉を失はば、薛城を隆(たか)くして天に至ると雖も、猶ほ益無きなり、と。
靖郭君曰く、善し、と。
則ち輟(や)めて薛に城(きず)かず。

 


荊王の弟、秦に在り。
秦、出(いだ)さず。
中射の士曰く、臣に百金を資せば、臣能く之を出さん、と。
因(よ)りて百金を載せて晋に之(ゆ)き、叔向(しゅくきょう)を見て曰く、荊王の弟、秦に在り。秦、出さず。請ふ、百金を以て叔向に委せん、と。
叔向、金を受け、以て之、晋の平公を見て曰く、以て壺丘に城(きず)く可し、と。
平公曰く、何ぞや、と。
対(こた)へて曰く、荊王の弟、秦に在り。秦、出さず。是れ秦、荊に悪しきなり。必ず敢へて我が城(きず)くを禁ぜじ。
若(も)し之を禁ぜば、我は曰はん、我が為に荊王の弟を出せ。吾城(きず)かざるなり、と。
彼如(も)し之を出さば、以て荊に徳とす。
彼出さずんば、是れ卒に悪しきなり。
必ず敢へて我が壺丘に城(きず)くを禁ぜず、と。
公曰く、善し、と。
乃ち壺丘に城(きず)く。
秦公に謂ひて曰く、我が為に荊王の弟を出せ。吾城(きず)かず、と。
秦、因(よ)りて之を出す。
荊王、大いに説(よろこ)び、錬金百鎰(いつ)を以て晋に遺(おく)る。

 


闔盧(こうりょ)、郢(えい)を攻む。

戦ひて三たび勝つ。

子胥に問ひて曰く、以て退く可きか、と。
子胥対(こた)へて曰く、人を溺らす者、一飲にして止まば、則ち溺るる無けん。其の休まざるを以てするなり。之に乗じて以て之を沈むるに如かず、と。

 

 

鄭人、一子有り。

将(まさ)に宦せんとす。

其の家に謂ひて曰く、必ず壊れたる牆(かき)を築け。是れ不善の人、将(まさ)に窃(ぬす)まんとす、と。

其の巷人(こうじん)亦云へり。

時をもて築かずして、人果たして之を窃(ぬす)めり。

其の子を以て智と為し、巷人の告ぐるを以て盗と為せり。